掃除道具なのに、部屋に置きたくなるインテリア。中川政七商店のカーペットクリーナー

掃除道具は“隠すもの”という固定概念でした。
カーペットクリーナーってよく使いますか??いわゆるコロコロです笑
わんちゃんや猫ちゃん飼っている方やマメな方はよく使うよー!ってイメージなんですけどどうでしょうか?
そもそもコロコロに限らず掃除道具って、お家の中で、できるだけ見えない場所に隠しておくものだと思ってたんです。
だって見た目が〝生活感〟にあふれていて、出しっぱなしだと部屋が雑に見えるというかごちゃごちゃして見えますよね。でもよく使うからすぐ手に取れる場所にはいてほしいジレンマがあって。
でも、中川政七商店の「カーペットクリーナー」はその考えをコロコロといい意味で変えてくれました。
真鍮の持ち手、革の留め具、木のケース。どこか職人の気配を感じる佇まいで、
掃除道具というより、上質な道具を「持つ」感覚に近いです。
どこに置いても、空気が整うイメージ
自分はリビングのソファの横に置いていていても、まったく邪魔にならないところが気に入っていて
むしろ、あるだけでデザインが加わってすんなり馴染む。この“どこに置いても嫌じゃない”というのが、思っている以上に大きい。
掃除って、面倒なものだと思われがちだけど、
本当は「取りかかるまで」がいちばんハードルが高いのでだからこそ、すぐ手に取れる場所にあることが大事かなと。例えば
・仕事から帰ってきて、スラックスに付いた糸くずを見つけたとき。
・休みの日、コーヒーを飲みながらソファで本を読んでいるとき。
その横にこれがあるだけで、サッと動ける。
そんな小さな行動のしやすさが、習慣化の生活の質を変えるんだと思うんです
冬の真鍮は冷たいけれど、愛しい
唯一の弱点を挙げるとすれば、冬の真鍮。
これが本当に、冷たい笑
手に触れた瞬間「うっ」となるほどの冷たさ。
でも不思議と、それすらも憎めない。
たぶん、そこに“素材の正直さ”みたいなものを感じるからで。
真鍮って、時間が経つほどに色がくすんでいって、
人の手の脂でまた艶を取り戻す。
そうやって、使う人と一緒に変わっていく。
ぼくは靴磨きが好きで、
革のシワや艶が少しずつ変化していくのを見るのが楽しいんだけど、
それと同じ感覚に近い。
このクリーナーも、手に馴染んでいくうちに少しずつ表情が変わる。
新品のときよりも、使い込んだあとのほうが、断然かっこいい。

“少し気分が上がる道具”が、暮らしをやわらかくする
平日は会社に行って、帰ってきたら家事を分担して、
なんとなく毎日が過ぎていく。
そんな中でも「ちょっと気分が上がる道具」があるだけで、
暮らしは少しやわらかくなる気がする。
掃除道具を“インテリアのように置ける”というのは、
見た目がいいからだけじゃなくて、
生活にゆとりを感じられるということだと思う。
便利さとか、コスパとか、そういう尺度では測れないけど、
自分の気持ちに小さく灯をともしてくれる。
そんな道具が、家の中にひとつあるだけでいい。
真鍮の冷たさも、暮らしの温度の一部
冬の朝、冷たい真鍮の持ち手を握りながら、
「やっぱり冷たいな」と笑う。
それでも、やっぱりこの道具が好きだと思う。
掃除をするときだけじゃなくて、
部屋の片隅で静かに佇んでいる姿も含めて。
このカーペットクリーナーは、暮らしの一部になっていく。
